あいぴーblog

あいぴーの徒然なるままに

塾の掛け持ち

たまにいたのが(たまにと言っても、全体の2割強)、ほかの習い事、もしくはほかの塾との掛け持ちである。

 

まあ小学生は昨今習い事が多い。楽器系、スポーツ系、そろばんや英会話など、色々やっていて週5~6日くらい予定が埋まっていて、残りの日で塾も、という感じ。自分に子供ができると、あれこれやらせたくなる気持ちはよーく分かるが、理屈で考えるとあれこれスケジュールを埋めるのは好ましくない。難しいところだ。

さて、中学受験生でもない限り、小学生は「他に何かをやっている状態」で塾に通うことがほぼデフォルトとなる。国語や算数がすでに危険水域という状態であっても、あれこれ整理して勉強に時間をかけるのは難しいという感じである。先々のことを考えれば悪手になってしまうのは我々は多くの生徒を見ているから分かるが、実際親の立場としてはそこまで見通すのは難しい(上の子のときにうまくいかなくて、という方もけっこうおられた)。

習い事の多い小学生を塾で指導する、というのはそういう難しさを秘めている。決められた少ない時間で、いかに整えるか、そのあたりが問われる。無理なものは無理と言うしかないのだが、なるべく工夫を凝らしてみたいものだ。

 

逆に、受験するしないに関わらず、ある程度塾で時間を取れる場合はありがたい。のんびりと基礎学力を養うことができるし、時間が多く取れるのなら、いつも机に向かってガリ勉するのとも違うことができる。迂遠な道をあえて歩んでみたり、自分であれこれ試行錯誤してみたり、など。

 

おっと話が逸れた。

 

中学生くらいになると、塾の掛け持ちのパターンで多いのは「集団塾に行っていて、怪しげな科目を個別で」くらいがいくらかあるか。くもんなど通っていて、数学になったのを期に塾で数学を、くもんで引き続き英語を、なんていうパターンもいくらかあった。

 

さて、塾の掛け持ち、塾の先生としては、「別になんでもいい」という場合と、「全部うちでやってほしい」という場合のどちらもあり得る。先生のタイプや指導のタイプにもよる。

高校受験に向けて5教科トータルで指導する塾の場合は、おそらく圧倒的に後者のタイプが多いと思う(私もそう)。小学生や高校生は割とそういう掛け持ち系が功を奏することもあるが、中学生であれこれ掛け持つのは、時間や人間関係の面からあまり勧めたくないというのもある。

高校生は、科目の指導ができる先生が限られる。英語は英語の専門家へ、数学は数学の専門家へ、国語は国語の専門家へ、という感じがよいため、予備校のように各科目の専門家が揃っているところなら1箇所で済むが、現実問題としては色々と駆使することになるだろう。中学生の頃に通っていた塾の一教室で、大学受験の全科目にガッツリ対応できるというのはほとんどないはずだ。それができる塾をいくつも知っているからアレだが、一人の先生で全てまかないきれているところは本当に稀で、一教場でも何名かで分担しているのがほとんどである。

私の場合、小中学生はなんでもござい、高校生もまあよほどでなければなんでもございなのだが、理系の受験生なら他の先生の助力を頼むかな……という感じである。見て分からないわけではないが、理系科目をなんとかするために私自身が費やすコストが他を犠牲にしかねないため、英国社の科目に注力し、理系科目は怪物レベルの先生におまかせするのが最適になるのである。生徒にとってもそのほうがよい。

 

で、個人的には、個別指導塾の可能性がこの掛け持ちなのだ。

中学生にちょいちょいあるのが、「他で英語やってます、数学見てください」と来られるパターン。まずは数学からスタートする。定期的に英語も見る。今通っている他のところに対して気持ちを害さないように出来具合を報告する。これはデフォルトである。

いわゆる、セカンドオピニオン的な発想である。

医療に関してはだいぶ進んできた発想だが、塾(というよりも教育全般)についてはなかなか進んでいる感じがしない。どちらも、一つのものを盲信しないようにという点では共通していると思うのだけれど。

受講の自由度を上げ、価格を下げることで、そういう用途でも使える塾というのはいつか作ってみたいものである。

 

短し

自分よりできる奴なんてそうそういない。

 

と自信を持つのはいいのだが、ともすれば過剰になりがちであって、そこだけは注意をしなければならない。過剰は傲慢を呼び、傲慢はいずれ破綻を招く。

 

私なんぞは若い頃はしばしばそういう状態になったものだ。今でこそ、自分より若い人間でも上には上がいるんだなぁというのが分かってきたからそういうこともほとんどないが。

それでも、たまに出てくるこの感情、なかなか面倒なものである。

 

(今日はこれだけ笑)

雑記(2021年9月6日)

本日は休業日ということで、ずっとデザイナー業務。会社員じゃなくなって仕事の制限がなくなったので、まあ色々とやりたいことをやりたいようにできるわけです。

 

さて、これを小学生や中学生、高校生の勉強に置き換えるとどうでしょうか?自由にやりたいように勉強してうまくいくでしょうか?

 

と考えた時に、「おおむねうまくいく」と言える子は極めて少数派だということ。小学校2年生か3年生、それくらいまでにほぼどうなるかは決まっている感じ(経験則)。好奇心のあり方、思考のあり方、そういうものが自然体として身についているかどうか、そしてそれが小4段階でどうかというのが一つ大きな契機ではないかと思うのである。小学校の学習内容を見てもらえばなんとなくわかると思うのだが、4年次から抽象度が高まる。これまでの学習における、身の回りから発出する思考・操作から、具体性が見えなくなる部分へと広がっていくのである。社会科あたりは例として分かりやすいだろう。自分の住んでいる家の周り、通学路、学校の成り立ちみたいな極めて卑近、毎日触れる部分から入り、自分の住む小さな地域。市町村全体へと拡がり、学年が進んでいくと都道府県から地方、日本全体、アジアから欧米と世界へと学習が拡がっていく。さらには時間軸を遡るというところまでいく。これが歴史である。実際に目にできないものを学ぶのは、脳の発達的には一山越えたあとがいいというわけだ。その一山を越える前の段階で必要な力がついているかどうかが大事なのである。

では、中学生ともなればもう手遅れなのか?高校生では?

 

学校の勉強レベルであれば、センスもなにもない。しっかりと頭の使い方を身につけ、やりようを学んでいけばよい。そこは自由にやってうまくいかないことが多々あるだろうから、先人たちの優れたやり方を学び、自分に取り込んでいく、そういう姿勢で取り組めば十分である。

 

というようなことを考えていたのだが、自分が塾をやるとしたらもう一歩指導に味付けをしたいところだ。

 

ワクチン(2回目)接種して

うちの自治体ではワクチンの確保が順調だったのもあるのだろうか、予約専用のWebシステムがしっかりしていたからであろうか、先日順調に2回目の接種を終えた。

 

2回目は副反応が強く出る傾向にあるという。ただ、ファイザーよりモデルナにその傾向が顕著ということは知っていたので、ファイザーだからまぁ多少腕が痛くなって、前回から考えるとちょっと熱が高めに出る程度だろう、そろそろサイト制作に取りかかれるかなーくらいに考えていた。

 

甘かった。

 

接種当日は腕の違和感→痛みという程度。夜になって平熱+1℃程度まで上昇(平熱が35.5℃で常人より低め)。少し気力が出ない程度で眠りにつく。

 

翌朝起きてみたら37℃を超える。ただ、体温よりも倦怠感が凄まじくて起きられず。関節の痛みと頭痛がなかなかひどい。インフルエンザのひどい時と形容するのがわかりやすいか。そのあとなんとかゼリー飲料やカップ麺で凌いでアセトアミノフェンを投入するも37.6℃まで上昇、冷えピタなども投入するが眠るに眠れず。38℃まで到達しちゃったところでなんとか寝たという感じ(当然ながら熟睡はできていない)。

さらに次の朝、37℃前後をうろうろ。まだ本調子からは遠い。アイスノンを投入して首に負担がかかったのか、右首から肩にかけて痛む始末。倦怠感は続き、食欲は出ない。たまに吐き気に襲われる(吐いてはいない)。

 

そして本日、おおむね回復、仕事もなんとかできるかなという感じ。ただまともな睡眠が取れていなかったせいか、眠いことは眠い。

仕事を融通利くように調整しておいてよかった。昨日はちょっと添削しなきゃいけないものがあったが、なんとかという感じ。

 

私の周りで同世代は大体が職域や自衛隊でモデルナ接種で結構な副反応を出していたので、ファイザーの卑近な例がほとんどいなかった(そもそも同世代、基礎疾患なしで2回目を打っているという人の方が少数派ではなかろうか?)。ゆえに30代半ばではどんなもんかな、と思っていたが、若い人に強めに出るという副反応が見事に強めに出たのだと思う。

 

まぁピチピチギャル並みの若さを持った肉体である証左ということにしておこうか。笑

 

 

雑談した話

授業で暦の話をする際は、六曜の話をすることが多い。と言っても、基本的には高校生でも知らないものである。「大安」くらいは聞いたことがあるという程度。

まぁ明治期に迷信の類だとして排斥されかけたくらいなので、旧来の暦を意識しなくなってきている昨今、知らなかったとしても不思議はないが、こういうものを考慮して色々人生の節目を考える人がいる、というのは知っておいたほうがいいだろう。

「葬儀は友引を避ける」「吉事は大安に合わせる」みたいなのは結構今でも意識をする人はするものである。

 

ちなみに、うちの息子は大安産まれである。

 

こういうのは学校の授業で扱うことはほぼないだろうし、日常においても親がある程度意識する人でなければ中高生くらいの時期でも知らないものだろう。まぁ知っておくといいぞ、という程度の雑談と、当然昔は暦というのを今よりも重要視していた世界なわけであるから、そういう感覚の理解の一助としても有用にはなりうる(六曜が定まったのは江戸期だが)。

 

これ、私なんかは癖で「りくよう」って読んでしまうのだけど、日本語的には「ろくよう」なんですよね(辞書を引くとわかる)。

 

英語学習構築中

英語を通し学習をする際に、どうするかというあたりをいろいろ考えて構築中である。学年というよりも、習熟度別の構築をしている。

学年として想定するのは小5〜高3で、別に小4の中頃あたりから始めるのは可。

 

個人的にはいきなり文法的な話をし始めるのは良くないと考えているため、まずは表現や言葉の知識をつけるところから。そこから少しずつ「表現のルール」を学んでいき、発話と作文を主にしていく。短い表現ややりとりについてはこの部分で押さえができるので、そこから少しずつ文章を読むというステップに移っていく。そういう意味で、中学校の教科書は結構難しくなったので、使い方がちょっと難しい。裏を返すと、教科書のレベルさえ十二分にできるのならかなり力はつけられるため、「教科書をどう使うか」「理解のために何をどうするか」というところから英文法学習の道筋もできてくる。

 

無論、こういうのは大枠だけを作っておいて、生徒にあわせて細かいアレンジはしていかなければならない。ここに、中学校の授業進度(定期テストで点を取らないと内申点に響く)を加味していけば、なかなかに指導の枠組みを作りだけでも骨が折れる。ほぼ毎回のように微調整を繰り返していくからだ。学校の進め方・進み具合に生徒の理解具合・習熟具合を見て、残り時間(試験日は決まっている)を考慮してその都度調整をかけていく。したがって、立派なカリキュラムがあったとしても、結局は生徒と直に接する講師の力量なくしては真の指導は成立し得ないのである。

その点、高校生は比較的緩やかにできるのだが(ある程度は各生徒のレベルに応じた学校、また授業レベルや進度のため)、ここでもまぁまだまだ課題は多かろう。特に、私立志望であれば、首都圏ではなるべく指定校や公募推薦、総合型で狙い撃つ、という形になりつつある。高1の段階で国公立志望であっても高2→3と進むうちに私立に舵取りしていくというのは珍しくない。そうなった時に、持っている評定が第一となり、学校によっては付随して英検やGTECのスコア、また普段の校内実施の模試(進研模試など)の成績も指定校推薦を得られるかどうかの材料になる。すなわち、国公立大を狙う、また私立でも早慶を狙う、というような学力層以外の生徒は、日常的な学習と、成績の確保がこれまで以上に重要度が高くなっている。となれば、高3の1月に間に合わせればいいよーと楽観的にできなくなることも多々あり、のんびりともしていられないのである。

 

となると、英語はやはり語彙力をどう身につけていくか。読解に必要な文法知識の通り一遍を「どの段階まで」「いつまで」に身につけるか。

そういうのをいろいろと考えて取り組んでいかなければならず、そしてそれはもう3年前と同じ考え方は通用しない、という状態なのを自覚しておきたい。長く塾講師をやっていると、つい今までの経験則から考えがちだが、もはや踏襲するだけではなく、飛び越えねばならないものがいくつもある、というのを理解しておかなければならないだろう。

雑記(2021年8月23日)

・副詞の重要性というか、キーとしての副詞というか、その辺がなかなかフォーカスされることが少ないように感じる。というか、その辺りへの意識が抜け落ちている生徒が多い(99%以上)印象。英語でも、古典でもそうである。

動詞の重要性、また日本語(古典)においては述語の重要性は散々説かれるのに、それの意味を完成させる重要な役まわりの単語を軽視するのは結構危険である。意識の根底に置く、というのを毎回の授業で繰り返すことで少しずつ定着させていければ、というところ。

 

・天気が悪くても浴室乾燥機で洗濯物を乾かすのには支障はないのだが、いかんせん電気代がかかるのが困る。せっかくの夏でもあるし、もう少し晴れてほしいもの。暑いのは辟易とするが、洗濯物がよく乾くのは生活のクオリティにおいては大変重要である。

 

・1年前の最初の緊急事態宣言の時とは社会的な情勢は大きく変わってしまっている。いや、新型コロナウイルス自体が大きく変わったというべきだろうか。「変わった」というのはきちんと調べればいくらでも情報が出てくるのだが、その変化を認識している人が案外多くないのでは?という印象。

仕事はリモート主体になる。身内に高齢者もいればワクチン接種ができない年齢の子もいる。そもそもワクチンは重症化の阻止は期待できるが感染防止にはおそらくみんな思っているほどには期待値は高くないようなので、少なくとも2回目接種を終えて2週間は特に用心をしておきたい。