あいぴーblog

あいぴーの徒然なるままに

主観的に読む

国語では文章を客観的に読まねばならない、と言われるが、これは半分正しいが半分は間違っている。客観的に文章を読むなんて行為ができる人はほとんどいない。

 

評論であれば、その内容が新鮮で何かを学ぶということもあれば、「またこれかよ」と思うこともあるし、「いやこの考えはおかしい」と思うこともある。客観的に読めという指導は、一歩間違えるとそういう思考の動きを潰してしまう恐れがある。読んで考える、その中で自分の考えを持つことはなんら悪いことではなく、むしろそれを繰り返すことで知識を増やし、自身の情動回路を豊かにし、ひとつのきっかけをもとに思考を深めることができるようになっていく。国語という科目に限らず、「ものを考える」ことをできるようにするのが勉強の大きな目的になり得るわけで、科目の究極はその力があれば入試も十分に突破ができる。

 

読める人は読む段階では主観にあふれている。読めない人は文章を読むだけで思考をしていないので、結局何を言っているのかわからない、となっているが故に読めていないのである。

「この意見に対してあなたはどう思う?」「この主張を説明する上で筆者が出している以外にもいろいろ具体例が考えられない?」

こういう問いを投げかけることで、読みを深め、理解を深める。

 

さて、では国語という科目で問題を解く上で客観性はどこに必要かというと、それは「問題を解く時」である。

設問に取り組む際は、あくまでも本文に書かれていることに忠実に解かねばならない(一部の大学を除く)。ここで主観を抜群に発揮すると、何言ってんのお前状態になって点数に結びつかない。

 

この辺は明確な線引きがあるわけではないと思うのだが、独学ではなかなか難しいのではないだろうか、と思う次第である。

いや、正確には独学でできる人は放っておいてもできるので、塾で国語をやる必要がほとんどないという・・・。