あいぴーblog

あいぴーの徒然なるままに

宿題の是非

塾の宿題について。学校の宿題にも色々意見はあるが論点がずれるので別稿で。

 

塾にもよるが、「宿題を出す」という行為は求める保護者の方が多いものの筆頭ではなかろうか。学力上位層が少ない(もしくはほとんどいない)塾だけでなく、上位層、それこそ県下トップ校に多数進学する生徒が在籍している塾でも根強い要求をされることがある。

理由としては、「塾以外の日も家で勉強できるように」「家で何をやったらいいか分からないから(この理由の場合は生徒も欲しがっていることがある)」「たくさん勉強させたい」等々。保護者の方の気持ちはよくわかる。子供が勉強もしないでダラダラっとしている様子をずっと見ていると心配にもなりイライラもするだろう。ひと昔前はテレビゲームばっかりやっていて、というので取り上げるだのなんだのというのが多かったが、最近はもっぱらスマホになっている。そもそも買い与えるのがどうか、という意見が多いのは百も承知だし、私自身、中学生どころか高校生にも買い与えるのはどうかという感じは持っているのだが、とりあえず現実的にはそれで苦労されている保護者の方が多いのが事実なので、この意見はよそに置いておく。

※必要なものはスマホ以外で機能十分にできるのである。

 

さて、求めの多い宿題であるが、これ、相当に扱いが難しいものである。

 

まず、勉強が好きでない(嫌い含む)、自分からやろうと思わないという生徒にとっては、家に帰っても「こなさなければいけないノルマ」となる。十中八九、勉強嫌いを促進する。宿題をやらないと家で怒られ、塾でも怒られ、やるとしても毎日コツコツといかずに大抵は期限の前日夜か当日塾に行く前にやっつけるだけ。日常的に学習している姿が見えるわけではないから保護者の方は不満だし、やっつけでやってきたのは講師が見れば分かるのでこちらはため息。挙げ句の果てには「やってくるだけ偉い」などと褒めなければいけない始末(←マニュアル的対応)。

 

宿題を苦なく取り組める生徒はどうであろうか。これは一見よさそうなのだが、実はここにも問題はある。

 

勉強の作法、ここでは「頭を働かせて自分で考える、試行錯誤する、なぜ!?を追求する」という姿勢・技術が出来上がっていないと、せっかく勉強に時間を使ったのに思ったよりも効果が出ない。これは中学生くらいだと、高学力層でも抱える問題なことに注意したい。

もちろん、簡単にそういう姿勢や技術が身につくものでないので、そういう成長の過程で家庭学習をする材料としての宿題というのはある。ただ、その場合は何をどう家で取り組むか、そしてどうチェックを入れて、後の指導をどうするか、というのには相当繊細さが必要になる。

さらに言うと、そういう姿勢が身についてきた生徒にとっては、自分で何に取り組むべきかを考えて実行する段階となってくる。この場合は講師があれこれ強制するのではなくて、自分で考えさせるというのが指導としては必要になる。

 

私ならどうするか。

まず、不用意な宿題というもの自体は出すつもりがない。それであれば、塾に来て目の前で勉強する機会をなるべく増やせるように設定し、家で親子ともどもストレスを抱えるような環境を作らないようにしていく。「勉強しろ」は言う方も言われる方もいいことはない。

家で勉強する素材を出す場合は生徒によるものの大体こういうものを渡すかーというのは固まっている。生徒によっては塾に来れる日の制限も出るであろうし、家での学習習慣付けを必要とすることも出てくる。繊細さが要求されると書いたが、その辺りは数十数百の想定で準備はしてあり、それをさらに個々に合わせてカスタマイズする。

生徒と話し合うということもするだろう。自分で何をやったらいいのかを考えてもらう。方向性が大きく間違えてなければ多少自分の考えと違っても問題ない。特にテスト直前や入試直前という切羽詰まった時でもなければ、多少の遠回りは必要でもある。国語を教えていると特に感じるのが、遠回りした中での思考のアレコレもまた大きな勉強なのである。

 

ということで、新あいぴー義塾NEO(仮称)では宿題は原則なし、の予定だ。(予定は未定)